赤津さんのお話です!ラジオ出演時のお話の内容も掲載しています。
FMいわき出演 2024年11月4日(日)8:30~
2024年のオーケストラ・ファン・ヴァセナール室内楽シリーズ全国ツアーに先立ち、FMいわきの「アリオス・スタイル」に、共演の今田利さんと共に出演されました。
以下に内容を掲載しています!ぜひお読みください。
2024年11月4日(日)8:30~ FMいわき「アリオス・スタイル」
出演:いわきアリオス 佐藤よりのりさん
赤津眞言さん
今田利さん
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いわきアリオス佐藤さん: 11月15日金曜日夜7時開演、いわしん音楽小ホールで、おなじみの、オーケストラ・ファン・ヴァセナールのコンサート、室内楽シリーズ2024「ヨーロッパの街角から」のタイトルで、「日常に楽しむ美しい響き」という演奏会をお送りします。今日は、このFMいわきのスタジオに、出演者から、赤津眞言さんと今田利さんにお越しいただいています。おはようございます。
赤津さん、今田さん:おはようございます。
佐藤さん:赤津さん、オーケストラ・ファン・ヴァセナールは、いわきアリオスでの演奏、もう10年以上になりますね。
赤津さん:そうですね、2012年から来ていますので、今年でもう12年になります。
佐藤さん:干支一回りですね、日本風に言うと。
赤津さん:年を取るわけです。(一同笑)
佐藤さん:年に1度のコンサートの前に、いつもこの番組にもお越しいただいて、色々お話を聞かせていただくのですけれど、赤津さんのバロック・ヴァイオリンはお馴染みですが、今回は、今田さんの、ちょっと聞き慣れない「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」という楽器が気になります。まず楽器の紹介からお願いできますか?
今田さん:はい。今回私が演奏する「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」の「スパッラ」というのは、イタリア語で「肩」を意味する言葉で、楽器を肩に当てて演奏するので、名前にこの語が入っています。「ダ」というのは、日本語で「藤原の~」という時の、「の」の部分ですので、訳すと「肩のチェロ」ですね。日本では「肩掛けチェロ」と呼ばれることもしばしばあるように思います。
佐藤さん:これは現代の、ピンをさして立てて弾くチェロの原形なのでしょうか?
今田さん:現在使われているチェロは、19世紀に改造された結果、ピンが刺さることになったものですけども、バッハが生きていた1720年前後には、実は大きいものから小さいものまで色々なサイズのチェロが存在していました。その中の大きいものは、現代の、足で抱えるチェロの原形になって、現在まで残っていますが、小さいものは、音量があまりない楽器でしたので、バッハの死後あたりから廃(すた)れて忘れ去られてしまい、どうなってしまっていたか分からない、という楽器です。
佐藤さん:そうすると、音量が小さいという、この肩掛けスタイルのチェロは、家庭で、家の中で、狭いところで弾くというのが前提なのでしょうか。
今田さん:そう思いますね。ちょうどその頃を境に、「コンサートホール」というものが各地にでき始めて、色々な会場でたくさんのお客さんを相手に演奏する形態がどんどん増えていきました。1000人とか2000人の前でチェロを演奏するとなると、やはり音量がかなり大事になってくると思うのですけども、それよりも前の時代には、家庭で演奏する、もしくは酒場で、食事を取りながら、ワインを飲みながら、音楽を楽しむのに、ちょうど良い楽器だったのかなと想像します。今のようにYouTubeとかSpotifyなどない時代ですから、音楽を楽しむためには、実際に演奏するしかありませんでしたので。
佐藤さん:はい。さて赤津さん、ほかに佐藤亜紀子さんがアーチリュートを演奏されますね。ヴァイオリンとヴィオロンチェロ・ダ・スパッラとアーチリュートの組み合わせというのは、この当時は割とスタンダードなものだったのでしょうか?
赤津さん:おそらくこの形でも演奏していただろうと思います。今田さんが話してくれたように、自分たちで持ち寄れて、スペースもそんなに広くないところで、気楽に楽しめますね。昔の絵を見ると、机の上に楽譜を載せて、それを覗き込みながら演奏していて、後ろからもその様子を面白そうに見ている人がいるような情景が描かれていますよね。親戚、家族、知人が集まって、ワイワイガヤガヤしながら、ワイングラスを片手に、食卓にはソーセージが載っていたり、そんな雰囲気で楽しんでいただろうなと思います。そういう時に、この楽器だと楽ですよね。
リュートという楽器はアラブの方から来た楽器なんですけれど、12世紀、13世紀の頃、ヨーロッパには吟遊詩人という人たちがいました。日本にも昔はよく、流しのギターなんていましたよね。背中にギターを担いで、居酒屋に入って、ちょっと1曲、みたいな。あんな感じで、リュート弾きも、街角を歩いていて、頼まれると窓の下で1曲弾いてお金をもらう、というようなことがあったんですよ。
佐藤さん:はい。
赤津さん:それが、家庭の中に入っていって、仲間と一緒に楽しむようになっていく。そこでこういう形、ヴァイオリンとチェロ、それにリュートっていうのは1番小さい形だっただろうなと思います。それを今回は再現してみたいということなんです。
だから本当は、できればステージの上にワイングラスがあると嬉しいな、と。(一同笑)
佐藤さん:このコンサートでは、曲は朗らかで陽気なものが多くなるのですか?
赤津さん:もちろん、陽気な曲だけではなくて、音楽の中にも喜怒哀楽というものがありますから、ちょっと愛を語ってみたい、とか…
今田さん:色んなドラマがありますね。
佐藤さん:現代も、この時代も、音楽には喜怒哀楽が全てあるのですね。そうすると、プログラムが俄然楽しみになります。構成としては、喜怒哀楽すべて盛り込んだものになりますか?
赤津さん:もちろんそうです。明るいものだけを組み合わせると飽きてしまいますし、ちょっと違う味も欲しくなりますよね。料理でも、全部同じ味だと飽きてしまいますね。箸休め的なものがあったり、ここは味を変えてみよう、などあると、演奏者もリフレッシュしますし、聴いている方たちも、こんなものも、こういう響きもあるんだ、と、違うものを楽しめると思います。
今田さん:「対比」というのも、バロック音楽の大事な要素の一つだと思います。
赤津さん:そうですね。
佐藤さん:オーケストラ・ファン・ヴァセナールは、いわきアリオスの年間のプログラムの中で、一番「尖っている」というか、尖ってはいませんが、一番珍しい部類のプログラムだと思っているんです。
赤津さん:そうですね。
佐藤さん:これをすごく楽しみにしている方が毎年いらっしゃいますし、私が紹介するときにいつも話すのは、とにかく一度聴いてみていただきたい。こんなに、「今」と通じるものがあるのか!というのが、コンサートの中にすごく表れていて、何百年も前から、人間の暮らしの本質というのは変わらないんだ、と。そういうところを感じ取っていただければといつも話します。
赤津さん:すごいですね。それはいつも私が思っていることです。教えるときも、「(音楽は)あなたの実生活と何も変わりはない。生活の中で気付くことがたくさんあるでしょう?それが音楽の中に入っているだけ」と話します。でも、今は、音楽と実生活がすごく離れてしまっていて、それは違うのでは、と私は考えています。
佐藤さん:現代の方がむしろ離れてしまっている、という?
赤津さん:そうです。だから特殊な感じになってしまいますね。着飾って演奏会に行かなくてはいけない、とか。
佐藤さん:はい。
赤津さん:例えば、演奏する時、私はいつもカラーシャツを着るんです。このチラシの写真ではピンクのシャツを着ていますね。私は自分でこれすごくいいと思っているんです。こういう、普段着でちょっときれいかな、という格好で演奏するだけで、お客さんにも、違う世界じゃないと感じてもらえるのですよね。
佐藤さん:はい。
赤津さん:だから私は、燕尾服を着て、かっちりした感じで演奏するのは、もちろん否定はしませんけれど、こういう室内楽的な3人とか4人とかで演奏するには、合わないだろうなと思っているんです。だから、さっき佐藤さんがおっしゃったこと、そのものです。
佐藤さん:ありがとうございます。
もうお時間になってしまいました。駆け足でしたけれども、今日はお2人、赤津眞言さんと、今田利さんにお越しいただきました。演奏会、間もなくです。ツアーも始まるということで、今度はコンサート当日にお越しいただきます。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。
赤津さん、今田さん:ありがとうございました。
〈終わり〉
公開レッスンを終えて 2024年6月9日
2024年6月9日、岡山では初めて行われた公開レッスンを終えられた赤津さんの感想です。
やっぱりレッスンは楽しいですね。 教わる側はおそらく緊張なさっていらっしゃると思うんですけど、あれはまだまだ私の気(き)を消す(*管理人注)修業が足らないせいですね。頑張ります。
常々思うんですけど、レッスンは私のためにしてくれている、と思うようにしています。学びが多いですから。 皆さんも、心の片隅に少しでも引っかかっていたら幸いですね。
(*管理人注) 気(き)を消す
赤津さんが、巨匠 グスタフ・レオンハルト(1928~2012)のレッスンを受けられた時の経験から。
レオンハルトのレッスンを受けに、自宅を訪問したときのこと。レオンハルトは、1980年に受賞した「エラスムス賞」により政府から貸与された大変立派な邸宅に暮らしていた。そこへレッスンに行くと、静かにレオンハルトが現れて、非常な威圧感と緊張感があったが、レッスンが始まるときになると、レオンハルト自身はすっかり背後の壁に同化してしまい、完全に「気」を消していた。巨匠も極まるとそのようなことができるのだと感心した。
この経験から、赤津さんはレッスンの時に「気」を消すことを目指しておられるそうです。
FM一宮出演 2024年4月26日(金)13:15~
FM一宮の「あなたにiタイム」に出演。
基本的に、ラジオパーソナリティーの方の質問に赤津さんが答えていく形で進みました。
以下にお話の内容の要約を紹介しています!ぜひお読みください。
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Q. 赤津さんを「バロック・ヴァイオリニスト」と紹介したが、「バロック・ヴァイオリン」とは?そういうジャンルがあるのですか?
赤津さん: 別のジャンルがあるわけではなくて、ヴァイオリンというのは一つ。今作られて今弾かれているものなのか、今から250年、300年、350年前に作られたものを弾いていて研究しているかという違い。ヴァイオリンというもの自体は同じ。時代の要求に応じて変化・進化してきたということ。(後日赤津さんより注:赤津さんは、250年くらい前の楽器と同じ構造、同じ形の、作られた当時の姿の楽器を使っているとのこと)
Q. バロック・ヴァイオリンとの出会いは?
赤津さん: 初めて出会ったのは大学2年生のとき。友達に誘われて行ったある演奏会で衝撃を受けた。当時音楽大学では、どの時代のどの作曲家のどんな曲にもヴィブラートを常にかけるように言われていて、そのことにずっと疑問を持っていた。そんなことは絶対ないだろうと思っていた時に、友達に、面白い演奏会があると誘われて行ったのが、バロック・ヴァイオリンの演奏会。演奏者にその日のうちに私の師匠だと思って弟子にしてもらうように頼んだ。すごいショックを受けた。まず、なんて自由であるかということ。それから、曲がはっきり分かる。どんなことをやりたいと思っているのか。自分にとって一生の仕事になると思ったくらいの衝撃の出会いだった。人が一人一人違うのと同じで、作曲家もそれぞれ違うはず。
問題提起として、今の音楽大学でモダンを教えている方は、全部一緒のように教えてしまっているが、これはヨーロッパでは起こりえない。日本は10年くらい遅れている。ヨーロッパで起きていることは、ネットを通していくらでも情報が入ってくるのに、情報として受け取るだけで、自分たちでやってみよう、発信しようというふうになっていない。音楽大学の先生は自分の先生から受け継いだものをそのままやっている。モダンの先生はその傾向が強いと言える。
Q. モダン・ヴァイオリンとバロック・ヴァイオリンの違いを、素人にわかりやすく一言で言うと?
赤津さん: 一言で言うとなると難しいが、一番は弦の種類が違う。バロック・ヴァイオリンは基本的にガット弦。羊の腸をきれいにして、漂白したあと乾燥させて撚ったもの。ウィンナーの皮。
でもガット弦は食べられない。友達と一緒に試してみたけれど、煮ても焼いてもどうやっても食べられなかった。非常食になるかなと思ったけれどならなかった。(一同笑)
Q. バロック・ヴァイオリンの一番の魅力は?
赤津さん:一番の魅力は、(曲を)作った人に近づける感じがすること。作曲者にすごく近づいた感じがする。
作曲者たちは、当時の「モダン」の楽器で演奏していた。当時の「モダン」の楽器を私たちは「バロック・ヴァイオリン」と言っているが、その言い方は好きではない。ヴァイオリンも時代に応じて色々と変わっていったので、時代に即したperiod instruments(各時代における楽器)と言ったほうが良いと思う。
だから、いわゆる「バロック・ヴァイオリン」を使うと、曲を作った人に近づける感じがする。痒い所に手が届く感じ。モダンを使っていると何か違う感じがする。古いものが全て良いとは思わないが、「オリジナル」の感覚では、period instrumentsは作曲家に近づける感じがする。
そのために「演奏法」を研究する。当時の録音がないから。
問題なのは、当時の文献にも「こういう音だ」とは書いていないこと。例えば、『枕草子』『源氏物語』など(の古典文学)を原書で読むときに、「これはこう読む(解釈する)」とは書かれていない。当時の周りの情報を色々見て、当時はこうだったのではないか、と考えて「読み解く」。人によって意味の取り方や訳が違うことがある。音楽も「読み解く」という意味で全く同じ。
それを突き詰めていくのはマニアックなのかもしれない。それはどの世界でもそうかも知れない。
ヴァイオリンはヨーロッパで発達した楽器で、もともとアジアにはなかった。馬頭琴や胡弓など弓を使うものはあるが、肩に乗せて弾くものはアジアには存在していなかった。借りてきたものという感じがする。だから、まず最初の段階で、どこまでヨーロッパの人と同じスタート位置にいかにつけるかが大変。そしてそこから先が大事。
Q. オランダと日本を行ったり来たりされているが、オランダは、ヨーロッパの中でどのような位置づけ?
赤津さん: オランダ人は「ケチ」。日本では、オランダというとチューリップ、風車、チーズのイメージがあるけれど。
鎖国の時代に日本と行き来があったのはオランダだけ。日本人が初めて出会ったヨーロッパ人はポルトガル人、次にスペイン人。彼らは布教・占領が目的だったのに対して、オランダは商売のみが目的だったから受け入れられた。
Q. 音楽に関してはオランダはどう?
赤津さん: オランダの音楽も優れていると思う。例えばバロックの復興は、もともとオランダ、ベルギーで1960年代頃に古楽の復興が起こったことから。私の師匠も、その最初の人たちの一人。色んな意味で、進歩的であるという部分もある。革新、新しいものを見ていくという部分があると思う。常にそれが成功するとは限らないが、そういうところがある。
~演奏~
バッハ ヴァイオリン・ソナタ ト長調 BWV 1021 第1楽章冒頭
Q. 先日一宮市でヴァイオリンのワークショップを開いたと聞いています。
赤津さん: 今隣にいる磯部さん、それに岐阜の堀江さんがやってくれたもの。二人ともヴァイオリンの先生。子どもから高齢の方まで皆で音楽を楽しもうということをやった。
Q. ヴァイオリンをやったことのない人でも参加できた?
磯部さん: いえ、普段は私の生徒で、先生がお越しになるということで、相当前から皆さん必死に練習して臨んだ。皆さんすごくいい経験ができたと喜んでいた。
大きいのは先生のお人柄。新しいジャンルの音楽でも、緊張せずに深く知りたいと思わせる何かが先生にはある。
Q. どう指導するかで、頭打ちになったりどんどん伸びていったり、変わってくるのでは?
赤津さん: まず、相手がやりたいと思うことを「そうやりたいの?じゃあ、もっとこうしてごらん」とポジティブに言うことが大事。つぶすのではなく。それはダメだろう、なぜ私が言っているようにやらないの?としないことが大事。
先日のプロジェクトでも、「バロックはこう」とは言わない。そう言うと、(バロックは)特別なんだと思ってしまう。それは違う。音楽をこういうふうに作ってみたらもっと面白いかも、というふうに持っていく。そうすると、今までとは違う見方で曲を見たりする。
Q. それによって、演奏者がそれぞれオリジナルの音の奏で方をしていく?
赤津さん: そう。それを今度は、1人1人がばらばらだといけないので、皆でこういう方向を見てみませんか?こういう音を想像してみましょう、というふうにしていくとだんだん揃ってくる。
Q. 一宮の印象は?
赤津さん: 町の中心部は駅しか知らなくて端の方に連れていかれた。
磯部さん: モーニングや純喫茶などにお連れした。胃袋をつかもうと。
Q. そうしたら、また一宮に来ようと思ってくれる?
赤津さん: もう、とっくにそう思っています。
Q. 先生としてばかりでなく、ヴァイオリニストとしての予定は?
赤津さん: 演奏会は、近いところでは7月に豊田市で。それ以外は、公開レッスンをやっている。若い人にバロックの良さを知ってもらいたい。さっき話したような教え方でやっている。
あとは、自分の大きなプロジェクトが11月にある。そのプロジェクトでは、1か月間ほとんど放浪する。旅芸人みたいに。巷で「赤津座」と言われている。皆で車に乗って。
Q. のぼりを立てたら素敵では!
赤津さん: その話は前にもあった。1本2000円で出来るから作ろうか?と。それなら先発隊が要るね、と話した。「明日赤津座がここへ来る!」と、昔の旅の一座のように。
Q. 磯部さんと私たちも手伝います!
赤津さん: その時にはよろしく(一同笑)
Q. リスナーへのメッセージを。
赤津さん: 音楽って垣根がないと思う。バロックだから、モダンだから、何か難しいものをやっていると思わないでほしい。結局は同じ。自分がいかに楽しめるかということと、人をどうやって楽しい渦の中に巻き込んでいけるかということ。それができればどこで音楽をやっても楽しいという感じがする。
Q. 音楽は、演奏できなくても、聴いている人の感性を豊かにしてもらえると思うが?
赤津さん:(演奏していて)聴いている人の気持ちが伝わってくる。演奏しているときに聴いている人との対話をする。言葉で話すのではなく、演奏を投げかけて、お客さんがどういう反応をするかを演奏者も感じる。
Q. それで演奏する側も変わっていく?
赤津さん: そう。お互いに作っていく。
Q. これからますます赤津さんの活躍を期待しています。
赤津さん: ありがとうございます。
〈終わり〉